目を閉じて象をなでる

雑談ではギリギリ出てこないような思いつきとか、考えなどを。全体としては人生を祝福する方向性でまとめていきます

アルツハイマー、「12」

◆たぶん14年前、アルツハイマーが進行した祖母に会いに行った。場所は老人ホームだったが、そこで強烈に覚えていることがある。症状そのものではない。たしかに、もはや子の顔も孫の顔もわからず、2つか3つの言葉を繰り返すだけの状態になった祖母を目の当たりにするのはショッキングな体験ではあったが……印象的だったのはその前後、施設の職員が見せてくれた、1枚の紙の内容だ。それは、祖母のパーソナリティーを職員が把握するためのアンケート用紙だったと思う。で、その項目のひとつに「あなたが嫌だな、と感じることはなんですか?」という問いがあって、祖母の答えは「子供が泣いているのを見ること」だった。それを読んだときの感情が忘れられない。人というのは、アルツハイマーになってもコアは変わらないんだなぁ、と思ったのをすごくよく覚えている。普通こんな質問をされたら自分の利害について書くものだ。病状が進んで建前が消失してる人だってたくさんいるだろう。であればなおさらだ。そのとき僕はもともと大好きだった祖母をもっともっと誇らしく、愛しく思った。そして14年後のいま、そのようなコアを自分が持っているだろうかと考えるとはなはだ怪しい。

 

◆ということをなぜ思い出したかというと、坂本龍一の新譜を聴いたから。どこまでも抽象的なのだが、いきなりドビュッシーが顔をのぞかせる瞬間があって、やっぱ即興の中にもその音楽家のコアが出てくるもんなんだなとか思い、それで祖母のエピソードを思い出したというわけです。ちなみに新譜、演奏中の教授の鼻息がめちゃくちゃ聴こえる曲があって、すごく居心地が悪い気持ちになる。グレン・グールドもうるさいけど、あれは旋律とユニゾンしてるものね。あとキース・ジャレットもうるさいけど、ていうかどっちも鼻息じゃないし意図的ではないものね。