目を閉じて象をなでる

雑談ではギリギリ出てこないような思いつきとか、考えなどを。全体としては人生を祝福する方向性でまとめていきます

大江パワー尊厳死パーティーギター理解CoCo壱

◆新潮の大江追悼特集を読む。四方田犬彦の、それこそ個人的な体験の多く含まれたものがいちばんよかった。ほかのものでは、町田康の「魂のこと」というタイトルにも共感した。が、白眉だったのは何といっても、大江本人による「難関突破(ブレックスルー)」というエッセイ(2004年刊行の同誌100周年記念号に掲載された文章の再掲載とのこと)。当時、すでに老年を迎えていた大江が、デビュー前から現在に至るまでに訪れた「書けない」時期をどう乗り越えたかが語られた内容である。あの「奇妙な仕事」から2年間も書けずにフランス語の本ばかり読んでいたんだ・・・とか、あの「万延元年のフットボール」を“書き始める”までに3年かかったんだ・・・といった事実を知って遠い目になってしまう。

 

◆過去にとらわれすぎなので、チェンソーマンの新刊を読む。相変わらず面白いが、やはりパワー不在の穴は大きい。アニメ版もそうだったけど、パワーが出てくるだけでコマというか画面全体がパッと華やかになるキャラクターだった。

 

◆アマプラで「PLAN75」観る。公開当初からちょっと警戒していて、観るのを迷っていたのだが、まぁけっきょく観てみて、中途半端な映画だと思った。役者の演技はよかった。ボーリング場のシーンは素晴らしかった。

 

◆1ヶ月以上、ギターに触れていない。時間がない。

 

◆「わかる」とは自分が変わることであり、それをわからない限りわかったことにはならないのだ! という意味のことを聞く。しかし、自分が変わったことすら気づかないほど深くわかってしまう、ということだってきっとあるのではないか。僕を含む一部の人間・・・つまり本に親しむ人間は、言語に関してけっこう傲慢なところがあるのではないか・・・と思う。

 

◆2〜3年に1度くらい、気の迷いでCoCo壱に入って、強気の価格設定から繰り出される学食のような味にキレながら店を出ることを繰り返している。なんであれで店が続くんだと思うが、おそらくは僕のような「外食における消極的な選択」のパイを大部分さらっているというのがキモなのではないか。だって朝起きた瞬間から「今日は絶対にCoCo壱のカレーを食べるんだい」と考える人間がいるとは思えない。ただボンヤリと「昼メシ思いつかねーなー、まぁカレーにすっかなぁそれじゃ」みたいな人がフラッと入る、というケースが全国で日常的に起きているのではないか。そうであれば慧眼というほかない。日高屋が「あえて美味くしない」ことで普段使いしてもらう、という戦略をとっているらしいが、僕として日高屋は十分に外食の興奮が味わえるチェーン店であると言いたい。チゲ味噌ラーメンなんて立派な発明でしょ。