目を閉じて象をなでる

雑談ではギリギリ出てこないような思いつきとか、考えなどを。全体としては人生を祝福する方向性でまとめていきます

日高屋考〜アントニオ猪木(2023.12.19)

書くことが思いつかないので安いメシの話を

 日高屋の進化がすごい。ひと昔前は治安とムードを犠牲にしてとにかく安く飲む店というイメージしかなかったのに、最近のチゲ味噌ラーメンなんて「これだけで店出せんじゃないの」と思うものね。ちょい甘辛い、という絶妙のラインにオリジナリティがあって、ほかに似た味がなかなか思いつかないので、出ると毎年とりあえず食べてしまう。ところで日高屋って、別皿でニンニクがもらえるのを知ってますか。ぜひチゲ味噌にニンニクを別皿でもらって、こっそりトッピングしてみてください。きっと石油王でも美味いって言います。お酢も忘れずにね!

 

いそがしすぎる

今日も1日中、家で仕事をしていた。昼飯も食べられなかった。こんな毎日から帰納できることなど一つとしてないように思われる。やり方を変えなきゃいけないのにそのためのプランを立てる時間がない。と言いながら、今45分くらいゲームやってました。世間でいうところの「忙しい」はまぁだいたいこんなもんです(暴論)。「バタバタしていて・・・」ってよく自分も使うけど、あれも奇妙で便利で空虚な言葉だ。

 

空虚さも詩情になる

アントニオ猪木の「道」という詩がある。その1行目は「この道を行けば どうなることか」という書き出しで、そのあといくつかの詩行が続いたあとで「迷わず行けよ 行けばわかるさ」と結ばれるのだが、内容そのものというより圧倒的に語尾の力によって成立させているという意味で変わった詩だなといつも思う。「この道を行けば どうなることだろう」だったら駄作確定という感じがするが「どうなることか」だと、なんかいい塩梅なるし、「迷わず行けよ」という語尾、というか言い回しも、ありそうであんまりない。これが「迷わず行こうよ」だったら、お前がちょっと迷ってんじゃねーかと言いたくなるけど、「迷わず行けよ」は猪木だなぁという感じがする。そして全体としては、うん、まぁ詩だよなと思う。語彙や言語同士の響き合いとは別の次元でも成立する言葉の世界があるのは面白い。