目を閉じて象をなでる

雑談ではギリギリ出てこないような思いつきとか、考えなどを。全体としては人生を祝福する方向性でまとめていきます

僕の心のヤバいおじさん(2024.1.23)

 僕は自らの内部に新小岩のデッドエンドおじさんを1人雇っており、彼はことあるごとにうるさい。この前もちらっとタイトルを書いた気がするが、『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書)に出てくる「資本主義特有の規範的トポグラフィー」とか「中間領域を自在にさまよい」みたいな文章に出会うたびに、彼はやってくる。俺バカだからわかんねぇけどよぉ・・・と酒臭い息で絡んでくるおじさん。それよぉ、あんたの、その言い方じゃねぇとダメか? トポ? お? トポグラ? あ? 中間領域? お? 全部飲み屋の例えで言ってくんねぇか? みたいなことを言う彼に、まぁまぁ、と僕が割って入る。ここはいったん「カネあるある」とか「政治とは関係ない」くらいに肉抜きして読み換えようよ、ならおじさんも何となくわかるだろ? おじさんは曖昧に頷く。地頭はわるくないのだ。・・・まぁそれならなんとなくわかるけどよぉ・・・と言って彼はまたぽつねんと、僕の内部で膝を抱えながら大人しくなる。

なるべくワンテーマで書いていこうと思う(2024.1.22)

寝る前の15分で書いているこのブログで、それがどれくらい可能なのかわからないが、できるだけ1つのテーマだけを書いていくほうがいいように思う。1つのブロックに複数のテーマが入っているのは、基本的にはよろしくない。にもかかわらずなぜそうしてしまうのかというと、縦に掘るより横に掘る方が楽だからだ。思えば自分が原稿を読む時も「ここのところで話を変えるのでなく、がんばって立ち止まって深めてください、たとえばこういう方向性で・・・」と思い、また実際にそう提案したことがあるものだった。あれはこんなに面倒くさかったのね。しかし今の自分にはそれが必要な気がする。それに、そうすれば前回から書き足していけるし。しかし深めることは否定性と深い関わりがあるので(腑に落ちたらそれで終わるので)、時につらかろう。それでもやったほうがいいのだ・・・ウェヒヒ、眠い

これでダメならあきらめよ(2024.1.18)

 まったく中身を見ずに「編集者のための〆切手帳」というのをネットで購入した。なんでもこれを使うと絶対〆切に遅れなくなるので人生が変わるらしい(人生が変わるという言葉もしかし奇妙だ)。今日、届いたのでさっそく開封してパラパラめくってみると、なんといわゆるカレンダーにあたるものがなく、とにかく長期間と1日単位で〆切とタスク潰しに特化した内容。うーん。ちょっと困るかも。意図はわかるけど。つまり、俺がいつもちまちま書き出してるタスクリスト用のメモ帳が冊子になったということか。四千円……。ところで、引くほど瑣末なことだけど、使い方の小冊子に出てくる「自分との約束」「他人との約束」という呼び方がいいなと思った。このようにセグメントされると、「まぁ、守るか・・・」という気分にさせてくれる。気がする。しませんか? しないか。しろよバカ野郎高かったんだからこれ結構。

 

 使い倒した結果は数ヶ月後に記す。

 

ゴディバ風呂(2024.1.16)

 ゴディバカフェという普通には一生行かないカフェで打ち合わせ。あくまで仕事であり、飲み物なんてなんでもいいので適当にチョコレートを頼んだらちょっとしたパフェみたいなやつが来てしまって、1人だけはしゃいでるみたいになって恥ずかしかった。おじさんとパフェ。なんと形式化されたギャップ。まぁそれはそれとして、著者の人とマネージャーさんとたくさん話す。それにしても、人と会うのは風呂に似ている。面倒でたまらないしできればナシで済ませたいのだが、終わって後悔することはない。で、風呂といえば、その夜リアルの入浴中にまったく脈絡なく謎のシチュエーションが頭に浮かんだのだった。それは、見知らぬ外国人から「実は日本にはたくさんの核兵器があるのだがどう思う?」と聞かれてすぐに英語で反論しなければいけない、というもの。謎、……と思いながら風呂を出て、そのまま忘れていたのだが、数時間後に部屋で『イン・レイト・スタイル』の続きを読んでいたら、まさか! 先ほどの妄想とほぼ同じシーンが突然出てきたのだ。未来予知。不思議なこともある。でも作品としては正直かなり散漫で、惰性で読んでいるところがある。あのすごかった『水死』は越えられないだろうと思う。ちなみに今日のAIタイトルは、「妄想が現実に!シチュエーションが重なる瞬間に驚き #妄想 #イン・レイト・スタイル」だそうです。

 

最近はまっている立ち食いそば。店員の2人組のおっさんが本当によくて、小粋でテンポのいい掛け合いといい、元気でフレンドリーな接客といい、立ち振る舞いといい、まさに理想的な立ち食い蕎麦屋のおっさんという感じで、そばは全然おいしくないのでいつもガラガラなのだが、うっすいうっすいダシが胃に優しくて、週に1〜2回は食べている。
それでもたまに美味いときがあって、そういうときは純粋に嬉しい。

 

恋愛を必要としない人ほど素敵な恋愛をする!(2024.1.15)

 タイトルはAIが考えました

 

 大学の同期と新宿で飲酒。アルコール自体10日ぶりくらいか。すっかり弱くなってしまって、ビール7,8杯でベロベロになってしまった。仕事の話はともかく、自由恋愛の話がおおっぴらにできる最後の数年を生きているのかもしれないと思う。となると、聞くにせよ話すにせよ、それなりに切実な思いが出てくる気がする。本質的に恋愛を必要としていない人間ほどいい恋愛ができるのだ、といったような意味のこと(うろおぼえ)をむかし村上龍がどのエッセイだったか書いていた。いや、意味がよくわからないな。書いてないかもしれない。しかしなんぼでも応用可能な気がする。本当にいいラーメンの味がわかるのって、ラーメンがなくても生きていける人なんだよね、とか。でもこういうことを真面目な顔で言われたら、良いこと聞いたなと感じる人が結構いると思う。というのも、わざわざ貼らないけど最近Twitterでジョンレノンとデビッドボウイのシャレの効いた返しみたいなツイートがちょいバズしてたんだけど、内容自体はまじでぜんぜん上手くないし良いことも言えてなさすぎるのに、才気あふれる皮肉屋の面目躍如みたいな流通の仕方をしていて面白かったから。内容なんてどうでもいいのだ。

マカ的でなさすぎる(2024.1.12)

 インターネットに居場所がない旨をインターネットに書き続ければ一生ネタに困らない気がする。今日ドラッグストアでサプリメントの棚を見ていたら「マカSTRONG」という商品が売っていた。そういう意味ではなく、これを飲んだらたとえば夕方になっても仕事の集中力が途切れないでバリバリできる、みたいな効果があるのではないか? と考えて買う。さっそく飲んだけど、そういう意味ですら効果は感じられなかった。本質的な課題に対する解決方法が、つくづく小手先すぎる。眠くてこれ以上なにも思いつかない。

 

そう意味で飲んだのではない

 

 

それはそう(2024.1.10)

 今日は揚げ物とカレーが食べられてトッピングなどのカスタマイズ性が高い料理を食べたくなったのでCoCo壱番屋へ向かったが、CoCo壱って、どう考えても美味しくない。いや、まずいとは言わない。ただ・・・・・・美味しくない。この「まずいとは言わない。ただ・・・」というのはアフロ田中のどのシリーズだったか忘れたが、田中が絶妙に美味しくないくせにまぁまぁ良い値段を取る町中華に行く話のなかで出てくるセリフで、「しかしこれ・・・いや・・・まずいは言い過ぎか・・・仮にもプロが作ってくれているのだから・・・」みたいなセリフのあとに出てくる次のコマが好きで、今でもCoCo壱みたいな店に行くたびに必ず思い出す。

 

上京アフロ田中・1巻-第7話◇ラーメン食べたい! | ビッコミ ...

 

この感じ、すごくわかる。ただ、この日のCoCo壱は人生でいちばんうまかった。ほうれん草とキノコとスクランブルエッグを全部ハーフでトッピングしました。それにしても自分は、受動的なサークル機能(以前Twitterにあったやつ)としてブログを使っているのだなぁと思う。